Nov 28, 2008
電話代行のトラップは、
現代社会は人と直接会うことをしていないことが非常に増加している。たとえば、メールや電話などのツールを使用することが最も多いのだ。日本人の特徴に電話を嫌う傾向がある。そこで派遣電話代行などを雇っている会社もあるかと思いますが、電話代行には落とし穴がある。それはその人でなければ伝えられない思いや感情が電話代行では、うまく送信されない。顔が見えないと表情も確認することはできない。それが電話代行罠だと思われる。コールセンターに聞いてみることが意図される。もし、相手の電話番号がわからない場合だと思いがちですが、個人情報のことで厳しくなったために、コールセンターで教えてくれる可能性は減っている。良いものであることレクトリのような感じだが、日本人が生活を安心して過ごす数続く場合は、それで仕方がないと思う。
◇桑田龍三さん(73)
浜田市の防災講演会で講師を務めた。聴衆は約250人。「東日本大震災の後だけにたくさん来られると聞いて準備しました」。震度やマグニチュードを説明するプラカードを手作りして臨んだ。
中学、高校合わせて教師生活36年。気をそらさない語りには年季が入っている。
祖先をさかのぼれば同郷の島村抱月に学問の手ほどきをした医師がいる家系。「何かきっかけがあったわけでなく地学が好きになっていた」
寒くなったり、暖かくなったり、火山を噴火させたり、地震を起こしたり。地球はいろいろやってくれるが、「それもこれも地球です。このごろ『地球を大切に』と言うけど、もっと『人を大切に』と言った方がいい。100万年後、地球は続いていても、人などどうなっているか分かりませんよ」。地球という「変わらないもの」への揺るぎない信頼のようなものがある。「変わらないもの」への興味は尽きない。「花と違って手入れしなくても石はずーっとある。それが素晴らしい」
変わりゆくものは「その長所ゆえに滅びるといいます。恐竜はその大きさがあだになった。人間は、文明ですか」。
浜田市の東の海岸には千畳敷と呼ばれる国指定天然記念物の石見畳ケ浦があり、西の長浜台地には県指定天然記念物の黄長石(おうちょうせき)霞石(かすみいし)玄武岩(げんぶがん)が露出している。「浜田には貴重な自然がある。鳥取などのジオパークにも負けないと思っています」【大西康裕】
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■人物略歴
1938年旧金城町小国生まれ。62年島根大教育学部卒。専攻は地学。母校の県立浜田高校などで地学や数学を教える。旧益田工業高校の校長を最後に退職。浜田市黒川町在住。
6月12日朝刊
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出雲市塩冶町の島根大医学部付属病院で9階建ての新病棟(183床)が完成した。ICU(集中治療室)やHCU(高度治療室)で治療される重症者に次ぐ患者を集約するMCU(中等度治療室、32床)を新設するなどして、重症度別の治療体制を強化。また、腫瘍(しゅよう)センター(37床)と緩和ケアセンター(21床)を新設し、がん治療体制の充実も図る。11日には記念式典と見学会があり、約150人が参加した。
同病院は18日から移転を進め、27日に新病棟を開院する。新病棟では女性病棟(12床)を新設したほか、小児センター(39床)内にはオランダの絵本作家、ディック・ブルーナ氏のデザインした「ミッフィー」などのイラストが描かれている。
式典に先立ち会見した小林祥泰院長は新病棟完成を受け、「高度急性期医療に対応しつつ、教育機関としての役割も果たしたい」と話した。
新病棟建設は総事業費約200億円で08年度に始まった病院再整備事業の一環。来年度末までに既存病棟で個室を増やすなどの改修を行い、病床数は現状から16減の600床となる。【細谷拓海】
6月12日朝刊
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8日から「被災地の力に」という連載を始めた。3泊4日という慌ただしい日程で、被災地での鳥取県民の活動を取材したものだ。出発前「県版で被災地のことを書くことにどんな意味があるのか」と考え込んだ。移動時間を考えれば、現地での取材時間は3日間にも満たない。ともすれば“物見遊山”と非難されるかもしれないとの思いにも駆られた。頭を悩ませていた時、ふとある少女のことを思い出した▼5月3日の憲法記念日。ハトの形をした風船に被災地へのエールを乗せて空へと飛ばすイベントがあった。5歳の少女が「みんなが楽しく仲良く暮らせるように」との願いを込めた。「地震があったところまで飛んでほしい」との言葉に心が温かくなった。同時に、少女の母親の言葉に驚いた。「この子、地震があったことは理解しているみたいなんですが、ほかの国のことだと思っているようで……」▼心を痛め、心配していても鳥取県で被災地を身近に感じることは極めて難しいと思う。起きたことがあまりにも大き過ぎて、テレビの向こうのことのように感じてしまうからだ。棚に上げるつもりはない。私がそうだった。では、鳥取県民の活動を通じて、被災地のことを身近に感じるきっかけとなる記事が書けないか。それが、遠回りでも被災者のためにもなるのではないか。そんな思いを胸に抱き、被災地に飛んだ▼石巻市内の避難所でのこと。被災者の女性から話を聞く機会があった。聞き漏らさないようにと、メモ帳に視線を落とし必死にペンを走らせた。「家が流されて……、出窓に乗ってなんとかしのいだ」。「雪が降っていて、すごく寒くて……」▼ふと顔を上げると、彼女の目に涙があふれんばかりにたまっていた。ショックだった。被災者の悲しみを何も分かっていなかった。書き取ることに夢中で、相手そのものが見えていなかった。メモを取る手を止め、目を見て話を聞いた。それが記者として正解かどうかは分からなかったが、ただただ、耳を傾けた▼被災した別の男性には、初めからメモを取らずに話を聞いた。「話を聞いてくれて、ありがとう。それだけで、楽になれるんだ」。ほんの少しだけ、自分も被災地の力になれたような気がした。今度は、記事で力になりたい。そう思いながら、原稿を書いている。【田中将隆】
6月12日朝刊
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